日本人ホームレスがフィリピンに多い
フィリピンの在フィリピン日本国大使館には、2日に1人以上の割合で、ホームレスになった日本人(困窮邦人)が駆け込んでいるようです。
おそらく、日本人ホームレスの数はフィリピンが圧倒的に多いと思います。
フィリピンで困窮邦人になる理由の1つは、「フィリピンは物価が安い。1カ月5万円ほどだから、300万円あれば、数年暮らせる」等、マスコミや周りの虚言を信じたりする人が多いからだと思います。
フィリピンの物価高騰
実際は、年々物価があがり、円がペソに対して非常に弱くなってきているので、ここ最近はあまり物価が安いとは感じられなくなりました。(約10年前は10万円が5万ペソになったが、今は3万ペソ台))だから、フィリピン移住して年金で暮らしている方は、相当大変だと思います。(せっかくの海外移住が楽しめない)
物価の上がり方も尋常でないように感じます。例えば、2010年のジプニー(乗り合いバスのような公共機関)代と現在のジプニー代を比べると、ほぼ倍の金額まで上がっております。
また、2010年は私の住んでいたアパートは家賃が約15,000円ほどでしたが、帰国前の2020年に住んでいた物件の家賃は、約80,000円でした。
だから、数百万円を持って長期滞在をしようと試みたり、年金暮らしで優雅な生活をと思ってみても、すぐに日本円は底をつきてしまうのです。
ちなみに、物価の上昇にフィリピン人の給料の上昇はついて行っておらず、生活がきついフィリピン人も多いです。ただ、約1割のフィリピン人は海外で働いており、家族に海外送金をしている為やっていけてる家族が多いと感じます。特に、アメリカで働くフィリピン人の月収は約100万円なので、数十万円仕送りしているようです。
日本人母娘のホームレスがセブ島で発見された
そうしたこともあり、少し前に日本人の母娘のホームレスが見つかったようです。2週間以上同じ場所にいたので、フィリピン人が不審に思って、飲み物等を与えたので辛うじて生きている状態だそうです。
フィリピン人が市長に連絡をし、その市長が日本大使館のスタッフに連絡をしたのですが、この母娘はこの先どうなるのかわかりません。(ビザも切れてオーバースティ状態だし、日本行きの航空券を購入するお金がない為)
困窮邦人はフィリピン人に助けられて生活
こうした日本人はフィリピンでどうなるのか?
現実問題、日本大使館は日本にいる家族に連絡をとることしかできないし、また家族の大半が「勝手にフィリピンに行ったので、知らない」と言うので、日本に帰るすべがないのです。
そして、フィリピン人に助けられ、細々と生きて行くのです。フィリピンの文化は、お金がある人が無い人に分け与えます。(マニー・パッキャオやカシメロのようなボクシングの世界王者達は、一生を贅沢に暮らすお金を稼いだが、周りの人をサポートする為に戦いました)
おそらく、ほとんどの困窮邦人は日本に帰る航空券を無料で手に入れても、日本には帰らず、フィリピン人に甘えて暮らして行くでしょう・・・
コメント
コメント一覧 (3)
そういう人は帰れないしお金が無くなったら終わりですね。
今まで散々日本人に世話になってるんだしフィリピン人が助けるのは日本的な感覚からしたらお互い様とか当然と感じます。
フィリピンに居て帰国後すぐに就職できるのは英語が出来る層だけで後は肉体労働くらいしかないと思います。
普通の日本人からしたら何であんな所に住めるんだというのが感想ですよね。でもフィリピンに住んでる人にはそれが分からない。
仰る通り、フィリピンに長くいるとボケて行きますよね。そして、怠け者になりますw
しかし、日本で生活しているとフィリピンの生活がなぜか懐かしくなるし、良い思い出ばかり思い出します。
この母娘は、お金の面では”困窮”には当たらない様です。 (亡き夫の”不労所得”が日本にある)
ただ、娘の”精神的”な事からトラブルが有り、コロナ過前の20年3月からセブに滞在との事らしいです。(観光ビザの3年は過ぎたので、”オーバーステー”)
マンダウエーのアパートに住んで居たらしいが、やはり”ご近所トラブル”で追い出され、発見現場近くのNPO団体へ行くも、代表者は日本へ帰国中で会えなかったが、信じずにNPO運営のレストランに侵入して居座ったとの事。(スタッフがイスごと母娘を外に運び出した。)
そして通報を受けたラプラプ市長と領事館の説得で、隔離施設に移送されたとの事です。
更に”精神的問題”は娘ダケでは無く、母親にもありそうとの事でした。