私の親族は賛成しておりましたが、嫁側の親族の反対にあってしまったのです。理由は、以下2つのことが原因でした。
2つ目の理由ですが、日本とフィリピンとの歴史のことです。簡単に申しますと、第二次世界大戦中に侵略した経緯があり(1941年から1945年)、その際に残酷なことをしたようです。
ウィキペディアにも以下の記載がございます。
ーバターンの飢え、病んだ7万6000人のアメリカ軍・フィリピン軍の人々は1942年4月9日に降伏し、7000人から1万人が亡くなるか殺されたという悪名高バターン死の行進をすることとなる。コレヒドールにいた1万3000人の生存者は5月6日に降伏した。
降伏までのでの3年以上にわたり、日本はフィリピンを占領した。フィリピンの抵抗軍による効果の高いゲリラ戦闘により、大部分はジャングルや山岳地帯であるが島の60パーセントを支配していた。マッカーサーは潜水艦で配給し、援軍と将校を派遣した。アメリカが独立を保証していたため、また、日本人が多くのフィリピン人を細々とした部分の労働まで強いて、フィリピン人はアメリカに対して忠実な態度をつづけた。
マッカーサーは1944年10月20日にフィリピンに戻るという約束を守った。レイテ島の戦いには700隻の船と17万4000人の勢力が同行した。1944年12月までにレイテ島とミンドロ島から日本人兵士は撤退した。戦闘中、日本軍は島の自殺防衛を行った。マニラ(第二次世界大戦で2番目にひどく破壊された連合都市)のような都市は瓦礫と化した。占領中には50万から100万人のフィリピン人が亡くなった。
上記のことはフィリピンの学校の教科書にも載っていますし、ご年配の方や被害にあわれたご親族の方達は反日感情をもたれているのです。
現在は戦争経験からのそうした感情は、徐々に薄くはなっておりますが・・・
以上の理由で猛反発を食らったのでした。
そのような反対のなか、日本人のいい面(誠実、約束を守る)を強調して説得をしているなか、私の仕事での態度等で反対ムードも賛成ムードに変化していき、大の親日家になるのにそうは時間がかからず、結婚手続きも(必要書類等)サポートして頂き、無事結婚へと至ったのでした。
今では、家の中は日本製品であふれるようになっており、よく日本文化やアメリカ文化について討論をするようになった今日この頃です。(日本やアメリカに仕事で行った事があるそうです)
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